2012/05/16

『猫のゆりかご』カート・ヴォネガット著 再読

カート・ヴォネガット著。
以前読んで、カート・ヴォネガット作品にはまるきっかけとなった本。
読むものがなかったので改めて読んでみた。

膨大などうでも良いことを積み重ねてひとつの世界を切り出す手法は、日本では椎名誠のそれに似ている気がする。
あちらは、暴力的な不条理が根底にある気がするが、こちらは悲壮的な条理が横たわっている気がする。

以前読んだ時より切ない物語に感じたのは、再読だからか、それともフケたからか。
負のルリタニアテーマの作品としては完成度が高いと思う。

2012/04/07

『地球幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク著 読了

確か高校生の頃に読んだのだが、だいぶテキトーな読み方しかしてなかったことを、読み直してまず実感。
そして、高校生の頃の私では面白く感じられなかったろうなと言うのが、第一の感想。<!--more-->

今となっては類似のクローン作品の枚挙に事欠かないSFの古典的名作の一つで、一言で言えば終末物語。
人類を母体に新しい人類?が生まれ、その人類の旅立ちと共に地球は滅びるという絶望感は、たぶん高校時代の私には受け入れ難い展開だったろう。
子供が生まれ子育てをしている今の視点でもなかなか悲しい話だが、新しい生命を生み出し育て送り出して別れるということの意味と思いは理解できる。そして、この物語は、新人類や若者の話ではなく、それらの土台となる人々の物語として見た方が遥かに心に突き刺さる。

余談だが、ガンダムおよびそのクローン作品ではいつまで経ってもニュータイプは超能力者の域を出ないのは、その先に進めばこういう世界を描かなければならないからなんだろうなと思う。
そこを着き詰めたらイデオンにしかならない。

ともあれ、面白かった。
ちなみに今回読んだのは1987年に出た改訂版を底本にした光文社のもの。第一章の東西冷戦的な表現がなくなったそうだ。
そのせいだろうか、枝葉は当然古い感じの部分もあるが、全体的にはスマートで現代的な雰囲気で読み易い。
読むならこの版がオススメ。

2012/04/01

日本の駄目さ

震災この方、日本の、日本人の駄目さをあげつらう人のつぶやきやブログを見る機会が多い。
それは、それ以前にもあったけど目立たなかっただけなのかもしれないが、こうも多いといささか食傷気味になる。

「…な日本人」とか「…な国ニッポン」とかで結ばれることが多い。
この言い回し自体がどこかのパクリっぽいがそれはともかく、彼らの主張の多くは代案や、自分の意見が無い。
ダメさを取り沙汰するが、それを解決する方法はけして提示しない。(これは上のような書き方をしない人にも、往々にしてよく見られる。)

批判は必要に応じてすべきだし、問題があるなら変えていくべきだ。
そうした現場で最も役に立たず、むしろ百害あって一利ないのが、自分自身を安全地帯において正論や正義を振りかざす人間だ。
以前はそれはそれで意味のある立場だと考えていたが、正直最近はそう思えない。
批判をするなら代案を提示するべきで、その代案に対する説明や実施された際の責任を果たして、それで初めて現場と同じレベルで話が出来るというものだと思う。

悪意をもって眺めれば、どんな行為も悪の所業になる。が、それは一番安易な道だ。
批判をする前に、相手の案や意見を100%受け入れてから、それでも相手の意識を変えられる論を構築できるなら別だろうと思うが、そんなレベルにいる批判者はほとんどいない。

2012/03/23

「イワンの馬鹿」トルストイ著

青空文庫で読んだ。
「イワンの馬鹿」トルストイ著 菊池寛訳

まだ、共産主義が夢として語られていた時代の労働賛歌。
一言で言ってしまえばそんなお話。

馬鹿こそ賢い、と言うか、身体感覚が一番正しいという信念を軸にしたファンタジーであり、トマス・モアの『ユートピア』に通じるものがあるが、後者が、ユートピアをユートピアたらしめる原動力を語らないのに対し、今作品では、イワンの「いいとも、いいとも」が、その原動力として語られている。
と言うことは、イワンの死後、この馬鹿たちのユートピアがさかしい者たちの攻撃を払いのける原動力を失い、デストピアになったことは想像に難くない。
馬鹿が賢くなるには努力すればよいが、馬鹿が馬鹿であり続けるには才能が必要で、特定個人の才能に根差したシステムはその個人の死去によって崩壊せざるをえない。

序盤のお伽話的な場面では感じない不安感が、馬鹿の王国の完璧さを語る後段に行くに従って強まって行くのを、この王国ではテーブルに着く権利はなさそうな理屈屋の私は感じてしまうのでした。

2012/03/19

「フィッシュストーリー」伊坂幸太郎著

文庫版『フィッシュストーリー』(新潮文庫)の中の一遍。
久々にもろ好みの作品に出会えた気分。

伊坂幸太郎の作品にはどことなくカートボネガットの作風を感じるのだが、その真骨頂と言う感じ。
短い話が絡み合い、本人たちが意識しないまま、ある運命の大きな流れを構築するという構造。
他の作品では、談判破裂して暴力の出番となることがやや多い様に思うが、この作品はその無理矢理黙らせる感がほとんど無く、ふわふわとたんたんと物語が紡がれていく。こういうの好きだ。

そしてそれを英語でほら話を表す「フィッシュストーリー」と名付ける感覚もいい。
確かにほら話で、ほら話ゆえのカタルシスがある。

リアルであることが絶対ではない、正しいわけでもない。
リアルでないことを開き直りながら、因果をめぐる冒険をはにかみながらふわふわと語る、こういうお話が、伊坂さんの真骨頂じゃないかと思う。

そして、伊坂幸太郎にあって村上春樹に無いのは、この明るいふわふわ感だとも思う。

2012/02/29

日本人の死生観

日本人の死生観は一言で言えば「死んでも生きている」で、これは「モノだって人間だ」ということであり、遡れば八百万神、九十九神、間近くは萌え文化に通ずるものだ。
そして、死んでも死なないから、死者への弔いが重要であり(先祖供養、タタリ神、魂鎮め)、また、死ぬことに積極的な意味が付加される(切腹、心中)。

仏教の諸行無常は死の情念強化に活かされ、輪廻からの解脱は死んでも死なないイメージに融合して「死ねば皆仏」となり、葬式仏教として換骨奪胎されて受け入れられた。

だが、なくなるものもある。
それは、生活圏の外から来るモノだ。

外から来るものは内に福をもたらすが人ではなく、人ではないからいつか必ずこなたから彼方へ帰っていく。
多くの物語が外から来たものによって恵みを受け、また外へ帰っていくえびすがみを描いている。

こうした考え方の根っこは、だからダメというのではない。
日本人のそうした考え方は今でも脈々と現代人の中に残っており、そうした考え方が、理性を超えた部分の判断基準となっていることが多い事は、把握しておくべきことだろう。

2012/02/20

映画「スマイル 〜聖夜の奇跡〜」

妻が借りてきたDVDを家族で観た。
役者の陣内孝則初監督作品。
(そして私はすっかり陣内智則と勘違いしてトンチンカンな感想を投稿し、妻に教えてもらうまで気が付か なかった。(^_^;)
なのでこれは修正版です。)

少年アイスホッケーチームを舞台に展開する少林サッカーで、マクドナルドのイメージアップ映画で、悪く 言えばご都合主義的展開連続のロマンティックが止まらない映画である。

誤解の無いように。
だからダメというのではなく、それがとてもいい感じで、爽快で愉快で心温まりほろ苦いワクワクする映画 だった。

2011/12/22

コストコ

妻と息子弐と一緒に、コストコに行ってきた。
一言で言って、海外(アメリカ?)のスーパーマーケットに行った気分。
そう言う意味で勉強になったし楽しかった。
平日なので人が少なかった。広大な敷地をゆっくり堪能。

買ってきた冷凍野菜、フルーツを小分けにして冷蔵庫へ。
ジップロック大活躍。

冷凍いちごをスライサーを使って牛乳とミックスしていちごシャーベットを作ったり、備蓄してあった野菜と入りきれなかった冷凍野菜を使ってカレーを作成。
カレーはほとんど外れることが無いから素敵だ。
食うのは明日。

もう寝よう。

2011/12/21

図書館にて

最近、仏教と数学の本に興味があり、何冊か借りて読んでいる。
仏教の方は元々興味があったジャンルだが、解説書はしっくりこなくて借りて読んだことがなかった。
宗教は誰かの言葉を盲目的に信じるものではなく自分で考え生活の糧とするものだと考えており、それは今でもそうなのだが、元々流されやすい人間なので、その手の本を警戒していた部分はある。

2011/12/19

Google日本語入力Beta

スマホに入れてみた。
悪くない。
今まで使ってたWnn Plusよりは良い感じ。
ただ、辞書機能が見当たらない。
Betaだから?探し方が悪いのか?

2011/12/03

今日は息子弐の発表会

先日、6歳になった息子弐の保育所で今日、発表会が ある。

年長さんの出し物はお芝居で演目は「寿限夢」。

息子弐も張り切ってる。

で、先日こそっと教えてくれたのは、発表会で何をやるかみんなで話したとき、私が読み聞かせてやった寿限夢が面白かったので、それをやりたいという話しになってこれになったんだそうで す。

嬉しいですねぇ。

自分の表現で誰かを動かせたと言う経験は無かった ので。

楽しみです。

2011/11/07

『数学ガール』読了

何かの雑誌にこの本のコミカライズが載っていた。そちらはあんまり食指が動かなかったのだが、この本読んだらはまった。

面白い。

数学を改めて勉強したくなった。


物語を一言で言えば…お宅の夢?
失礼な表現かもだけど。
でも、そこに数学が入ってくることでバランスになっている感じはある。

数学はパズルで、知的なゲームで、頭の冒険だけど、人の織り成す物語りとは正直相性が悪い。
人の物語りは感覚的で個別解釈の余地がある。数学はルールがあるため普遍的で個別解釈の余地は無い。

が、そのルールを自由自在に使えればある数式が千変万化するところに数学のロマンやダイナミズムがある一方で、物語りはあるルールの崩壊と再構築にダイナミズムが生まれることが多い。
この本の中に登場する二人の数学ガールと主人公の関係は、往年のラブコメをさらに薄めた位の物語性しか正直感じなかったが、お陰で数学のダイナミズムを感じとり楽しむことができた。

(理解できてたかで言えば半分も出来てないが)

(また、そうは言いつつ、ミルカさんとのシーンはドキドキしながら読んでいたのだが)

高校くらいの頃にこんな本に出会っていたら、私は理系に進んでいたろうと思う。
数式を解いた時に快感を感じる方にはおすすめです。

2011/11/05

ベツ・バラーレ

生パスタが美味しい店として人気のお店。
珍しく妻と二人の時間があったので行ってみました。




開店は11時。到着はやや過ぎた位だったが四台ある駐車場はすでに三台。残り一台も目の前で取られてしまった。

すごい。

仕方なく近くのコインパーキングに停めて行きます。
ここは40分100円。比較的安いからまあいいかと。

店内は狭い。が、明るくてモダンでシンプルでおしゃれ。
すでに八割埋まっていた所で席に座る。
他の席は近所の若い奥さま方なのだろう。
ファミレスとかとは微妙に客層が違う気がする。男の気配がない。

メニューが運ばれてくる。
本日のランチパスタが6種類。
しかも、通常のパスタの他、幅広のフェットチーノが選べ、また、辛口指定もできる。
また、別腹のパフェが付いたコースなら7種のパフェから選べる。

すげえ。

妻はパフェセットでトマトソースのパスタ、私はランチセット(パンとスープ付き)で一日10食の文字に惹かれて牡蠣の入ったクリームパスタにする。
と、最初に運ばれてきたのがサラダ。
と、銀色の猫のフォークレスト。

こりゃステキ。

盗難もあるそうな、さもありなん。

店内には新聞・雑誌の類いはなく、女性ボーカルの軽やかな曲がかかってる。
手持ちぶさたにテーブルを見るとなにやら小冊子。
何ページかに渡って、開店の動機や店名の由来、使ってるパスタマシーンやフェットチーノ、辛口指定、美味しい食べ方のコツ、店でかける曲のこと、駐車場のことなどなど、店のこだわりや嬉しいポイントが書かれていた。

これがなにげにすごい。

なんというか、今時のマーケティングの教科書に出てきてもおかしくない素材。
これで料理も良ければ完璧だけど…と思っているとパスタが来た。



見た目はごく普通のパスタ。
フォークを入れて驚いたのはその固さ。

よく「パスタはアルデンテが一番美味しい」などと言います。
が、ただの堅茹で位に思って(ので、その辺は好みの問題でしょと思って)いました。

これは違う。
ぐっぐっとフォークに絡まりながらいわゆる腰があり、しかも堅茹でのカリコリ感は微塵もなくむしろもっちりとした食感。
今まで食べたことのあるパスタとは全く違う食べ物…と言うのは言い過ぎでしょうか。

生パスタだから?否、ここだからなのでしょうね。

クリームソースはやはり丁寧な作りで繊細で、後味に牡蠣の美味しい風味が残る感じ。
もちろん牡蠣そのものも絶品で表面を香ばしく揚げた中から旨味がフワッと口中に広がる。
とても衝撃的な美味しさでした。

妻が私を見て、「おとうちゃんを喜ばせるのは、案外簡単なんだねえ。」と笑っておりましたが、本当に美味しいものに出会うとついつい笑顔になってしまうのは万国共通なのではないでしょうか。
パスタセットにはドリンクが付きます。

私は食後に紅茶を頼みました。
妻のパフェと一緒に紅茶が来て何げに飲んだらアールグレイが使われてました。
私は好きなのですがフレバーティで癖があり「紅茶」とだけ書いてるような所では出た試しがなかったのです。

ああ、幸せ。
こんな時間を過ごさせてくれたお店に、妻に感謝です。

追伸
例のコインパーキング利用者には100円のキャッシュバックのサービスがありました。
お店独自のサービスのようです。
ちょっとのことですが、これも嬉しかったです。

2011/10/31

こういうものとあきらめるべきか

BloggerとGoogle Sitesとに個人サイトを切り替えて一ヶ月くらい。

Android用のBloggerのアプリが使いづらく、Google SitesはAndroidからはまともにいじれない。

しかしまあ、今さら他のサイトやまたサーバーを借りるのは面倒くさいから、こういうものとあきらめて、やっていくことにしようと思う。

大体、ほとんど閉鎖状態だったわけだし、その内なんとかなるだろう。

2011/10/11

スティーブ・ジョブズ死去

亡くなったのは10/5。
この文章を書いたのはその翌日、mixi日記にアップ。
あれから数日。
ネット上も少し落ち着いたかな。

私はアップルファンじゃないのでちょっと覚めてますが「パソコンの時代 趣味編」という一時代の終焉 を象徴する訃報だなぁと思います。

(ちなみにビジネス編はゲイツさん。まだ存命中。 )


茶化す訳じゃなく、パソコンがマイコンと呼ばれて いた頃から見てたものとしては、AppleやMacが出な けりゃパソコンを趣味で使おうという世代はもう数 年(十数年?)遅れたろうとおもう。

パソコンが趣味じゃなく、趣味にパソコンを使う人 。 お絵描きとか、作曲とか、文章書きとか、写真編集 とか。

で、それが行き渡ったところで、iPhoneやiPadの登 場でよりパーソナルなデバイスの時代の先陣を切っ た。

一時代を築き、かつ新しい時代まで作りかけたこと は純粋にすごいと思う。

もちろん、ジョブズ一人の力じゃないけど、頭に立 つ人間次第で組織が変わるのは会社組織にいる人間 としてはよくわかる。 たぶんジョブズという、いい意味おかしいお宅な神 様が居たから、Appleは先陣を切れてたのは確かだ 。(これからどうなるのかね?)

Appleというと思い出すのが、小学生の頃読んだマ イコン大百科の中でApple IIを使う楽しさを自慢げ に語っていた元祖お宅的な人。 名前も覚えてない。が、きょうれつだった。

それと、ジャスコ仙台店で初めて触ったMacintoshは 衝撃だった。 分厚い取説読んでも使えない当時のマイコンの中に 、小学生が何も知らずに触って使い方がわかるのだ から。

その度にジョブズとウォズニアックの名前が頭に刻 まれたものだ。

結局いまだにApple製品は使っていないし、ジョブズ ジョブズと言う人はうさんくささを感じる私ですが 、

二時代を築いた偉人に敬意を表します。

合掌。